異業種交流会『一会倶楽部』には、さまざまな個性を持った方々が集っておられます。
その方々のビジネスや私生活における考え方の一端を、この「セカンドステージ」のインタビュー
というカタチを通じてご披露することで、我々の交流会の姿を、少しでも
俯瞰していただくことが出来ればと思います。
第4回のセカンドステージ出演者 (取材月 2008年5月)
NPO法人ジュース
理事長 学術博士
小笠原悦子
オハイオ州立大学にて博士号を取得。スポーツマネジメントを専門とする。現在、びわこ成蹊スポーツ大学准教授。鹿屋体育大学客員准教授も兼任している。水泳競技、コーチの職務満足、女性スポーツについての論文・著書・多数あり。これまで、国内外の数多くの学会や会議で研究論文を発表、基調講演あるいはスピーカーを務めた。オハイオ州立大学博士課程入学以前は10年前、中京大学、鹿屋体育大学で水泳コーチとして活躍。神戸ユニバーシアード大会、ソウル・アジア大会、そしてソウル・オリンピック大会では、シャペロンとしてコーチングスタッフに加わった。第1回アジア女性スポーツ会議実行委員長、アジア女性ワーキンググループ(AWG)議長。「2006世界女性スポーツ会議くまもと」開催のため、国際女性スポーツワーキンググループ(IWG)の共同議長を務めた。さらに、OCA(アジアオリンピック評議会)及びJOC(日本オリンピック委員会)の女性スポーツ委員会委員も勤めた。2004年エイボンアワーズ・トゥ・ウーメン功績賞受賞。日本スポーツマネジメント学会の理事を務める。
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セカンドステージ出演者
Back.No
[ 第1回 出演者 ]
橋本行政書士事務所
代表取締役社長
橋本 哲
(取材月 2008年1月)
[ 第2回 出演者 ]
ウエディングマリア
デザイナー
川澄 信子
(取材月 2008年2月)
[ 第3回 出演者 ]
日本クリエート茨城
代表取締役社長
衣笠 勉
(取材月 2008年2月)
NPO法人ジュース 理事長 小笠原悦子
主宰 小笠原様、本日は取材をお受けくださいましてありがとうございます。 まずは現在のお仕事の内容を簡単にお聞かせください。
小笠原 はい。現在私は、スポーツに関わる女性を支援する会『NPO法人ジュース』の理事長、鹿屋体育大学客員准教授、去年の4月からはびわこ成蹊スポーツ大学の准教授を務めております。
主宰 そもそも、小笠原さんがびわこ成蹊スポーツ大学に入られたきっかけはなんですか?
その辺りから話題をスタートさせたいと思っています。
小笠原 はい。びわこ成蹊スポーツ大学は開学してまだ6年目の大学です。 最初はその開学の時にお声がかかりました。
ただ、それとその時私が力を注いでいた、国際女性スポーツワーキンググループ(IWG)主催の「2006世界女性スポーツ会議くまもと」の開催のタイミングが重なったのです。
最初は両方を担当してとの声もあったのですが、世界会議の側ら、開学も行うことは難しいだろうということで、大学の方は一度お断りしました。ただそれだけでは申し訳ないので、オハイオ州立大学の私の後輩を推薦し、その方が担当することとなりました。
びわこ成蹊スポーツ大学のスポーツマンビジネスコースは3人の枠があって、そうこうして月日が過ぎて行く内に、その中の一人がお辞めになられました。そんなことで、もう一度お声がかかり、今度はNPO法人ジュースも2006年の世界会議が終了し、一区切り付いた時期だったこともあり、改めて関わることにしました。
主宰 なるほど、いまお話しに出ました「NPO法人ジュース」ですが、なぜ小笠原さんがNPO法人を作ったか、その理由をお聞かせいただけますか?
小笠原 NPO法人ジュースの設立はオハイオ州立大学から帰国し、機を同じくして、一会倶楽部に入会した頃でした。NPO法人ジュースの狙いは「世界女性スポーツ会議」を行うために、その核となる組織を持つ必要があり、それが、設立のひとつの目的でした。また、茨城県から日本初のNPO法人を出そうという意気込みと、周囲のバックアップもありました。1999年の2月25日に認証を受け、一会倶楽部会員である日本クリエート茨城の衣笠様のお力をお借りしたりしながら、茨城県で最初のNPO法人を誕生させました。
主宰 県で最初というのはとても素晴らしい事ですね。次に、一会倶楽部と小笠原さんとの関わりをお聞かせください。
小笠原 参加のきっかけは、NPO設立にお力添えくださいました日本クリエート茨城の衣笠様からのご紹介でした。それによって、様々な業種の方との触れ合いの機会が生まれました。仕事の都合上、日々の環境も変わります。ある時期、水戸の実家から東京へ、そして次は熊本に住む事になり、活動の範囲もプロモーションなどで世界各国を回るような仕事になりました。目指した大会の開催は、大阪府との支援交渉がうまく行き、2006年の世界会議の前哨戦ともいえる大阪での第1回目の「アジア女性スポーツ会議」が開催されました。
その時は、やはり一会倶楽部の木村みどり先生が一枚一枚スタッフへの手書きのサンキューレターを作ってくれたり、サポートしてくれました。そのことは今でも忘れられません。私がどうしてもスタッフに感謝の気持ちを伝えたかった意向を、みどり先生が汲み取ってくれたのです。とても感謝しております。結果的に茨城では大会は実現出来ませんでしたが、一会倶楽部の会員の方々のサポートがどれだけ嬉しかったか計り知れません。
主宰 そんな一会倶楽部は、
小笠原さんにとってどんな会ですか?
小笠原 一会倶楽部は一言でいえば「仲間に逢える」ということに尽きます。私も仕事上、1年に数回しか参加できないので、それだけにとても楽しみにしている会です。最初に参加してから、もうかれこれ10年になりますか。何年も会っていない会員の方とも、前回参加したときと同じように話しが出来るというのはとても嬉しいことです。
主宰 たとえ一年ぶりの参加でも、昨日も会っていたように、直ぐに打ち解けて話しが出来るのは、我々一会倶楽部の特徴ですよね。
小笠原 はい。私は毎回、欠席の返答ばかりお出しするので大変恐縮しています。主宰者様が毎月開催のご連絡を欠かさずお送りしてくださるので、コメントと一緒に返信する私にとっては、12回分皆さんとお話ししている感覚なのです。この会に参加して様々なきっかけを作っていただいたことにはとても感謝しています。
出欠のご連絡を頂く度、WEBサイトも見させていただき、より身近に感じられるようになりました。水戸に戻ってきた時に仲間がいるということは、本当に嬉しいですね。
主宰 最後になりますが、
今後の一会倶楽部に何か望むことがあれば?
小笠原 これからも、会員の方々それぞれに、環境が変わっていくと思います。一度きりの人生です、夢を持ち続け、お互いを高め合って進んで行けたらと思っています。一会倶楽部は「肩書きや仕事の間柄ではなくて、茨城という場、アイデンティティとしてつながる仲間」というスタンスを持って今後も参加したいと思っています。
主宰 本日はお忙しい中、ありがとうございました。
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